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2020年8月22日土曜日

上賀茂神社がポピュラーな訳

 鴨長明は古代鴨氏の末裔でした。

全く、俗っぽい話だが上賀茂神社と下鴨神社とどっちがポピユラーかしら?

私の感じでは上賀茂神社の方がポピュラーだと思う。

下鴨神社で修学旅行生の姿を見る事はあまりない。

私自身、下鴨神社界隈に住んで数十年ですが人口密度は高くありません。

私の友人は上賀茂神社の近くに住んでるがずっと人口は多いと言う。

上賀茂神社のそばにはこれといったものはない、存在が大きいからです。

下鴨神社のあたりではそうはいかない


糺の森にひっそりと隠れているようで、とにかく人目がつかない。

決定的なのは市中からの距離で、下鴨神社なら御所からでもちょっと足を伸ばせば行ける。日常の暮らしの範囲である。


上賀茂神社となるとそうはいかない。

方丈記の作者鴨長明は古代鴨氏の末裔だったそうな。


私の友人にも末裔にあたる友人は二人とも芸術家、画家と音楽家。

才能は受け継がれていくのですね。


2020年8月19日水曜日

立秋の見どころ

 京都の街は近年の暑さ全国1位か2位を独占中。浜津の40度も凄いが。

今夏の39°の連日の暑さは昨年より凄い。

京都の冬は底冷え、夏は猛暑に襲われる。しかし、暑さは逃れようがない。

いくら歩く京都でも、小暑から大暑の頃は無防備に歩き回らない方がいい。

小暑の頃お勧めは地下鉄やバスを乗り継ぎ目的地まで辿り着きたい。

やはり嵐電沿いの道。

京都駅から地下鉄烏丸線と東西線を乗り継ぎ嵐電天神川駅からスタートする。

市街地をのんびり走る路面電車。沿線の風景を眺めるだけでも十分楽しめる。

乗っては降り、降りては少しばかり歩きまた乗る。

昨今、コロナ菌の感染にも窓が空き、熱中症も防ぎやすい。

お勧めは、興隆寺、車折神社、鹿王院素晴らしい静寂を堪能できる。

また、木槿や蓮の花を探しに行くのもよい。

この猛暑に負けず花を咲かせる健気さがそう思わせるのかもしれないが。淡い花の色が一服の清涼剤になるような気がしてならない。

私も敢えてその色を探しに猛暑の中を散策に出かけては、家族の皆に馬鹿にされる。(笑)




 


2020年8月16日日曜日

立秋の見どころ

長いようで短いのが京の夏。

祇園祭がおわると一気にお盆の空気が漂いはじめる。

8月16日夜8時。

東山如意ヶ岳の大の字形にしつらえた火どこに火が付く。

今年は漢字の端の部分のみ点灯されるそうな。

赤々と大文字が浮かび上がるPm8スタートどす。

これを合図として五山の送り火でご先祖様をお送りし、行く夏を惜しむ。

昔はよく護摩木の消炭を探し、半紙にくるんで玄関先に吊るすと厄除になる。

小さいかけらなら、財布に無病息災のご利益にあずかれる。

祖母に連れられ、早朝に拾いにいきました。

立秋の菓子と食材の勧め。

水まんじゅう。鳴海餅本店さのがおすすめ。

あと、お惣菜には鹿ヶ谷のカボチャ。甘く炊いて冷やして頂くと食も進みまする。

松原界隈を歩くには、六堂珍皇寺界隈を歩いていくと、あの世とこの世の境目だとは思えないほど人通りが多い。

ご存じかもしれませんがみなとや幽霊子育育飴本舗さんがある。赤子を埋葬するときに泣き止まない子にはこの飴を一緒に埋葬するとおさまるといわれがあります。こわい。

松原どうりを東に進むと清水さんどす。やっと、埋葬できますなあ。




2020年8月12日水曜日

疫病退散が目的の蘇民将来子孫の札ありき


 今年は戦後初めて、祇園祭巡行がありませなんだ。



皆さんもご存知のコロナ菌の蔓延の危険性により葵祭も中止と相成りました。

ご存じかもしれませんが祇園はインドの富豪がシャカのために建ててあげた瞑想の精舎、それが祇園です。

八坂さんの階段が正面だと思われているかもしれないが実は東側にある、石段は南側。

八坂さんが疫病退散の神様と祀られたのは高句麗の末裔で繁栄祈願の為に根を下ろし神を祀る事を願ったからである。

これは、茅の輪信仰にも繋がり昔は、疫病退散にはまず、茅の輪を玄関にまたは腰に巻いて疫病退散の祈願をした。

今では、各地で茅の輪の祭りが行われるのが慣しで、祇園祭のちまきはこの茅の輪が形を変えて残っているものです。

コロナ疫病退散。

亡くなった祖母なら声を大にして叫んでいるでしょう。


 

2020年8月9日日曜日

大衆の娯楽と慰安の糺の森

 個人的に青春時代を過ごし、葵橋から加茂川と高野川が合流する鴨川を眺めて癒されしの思い出が私のあるあるだ。

以前、下鴨神社の境内で赤テントの根津甚八の舞台を見たことがある。

あの頃の楽しみには糺の森に夏の納涼会として団子やところてん、瓜が売られていた。

今でも、御手洗祭りにはみたらし団子や屋台のうどんなどが売られてたのしき夏祭り♪

今では懐かしき銀幕のスターの貢献の話も銅像のみに残ったりしている。

下鴨神社の中洲の思い出は群衆と慰安に使われたのです。

今でも鴨川のデルタに世界中から集まるのは下鴨神社の歴史から起こるものでしょう。

今では、納涼会は三条から四条の間の河原に料亭が張り出す床が連想されるだけ。

床の下の、もっと水に近い所では若いカップルが完璧な間隔で席を取って語り、それを四条大橋の上から眺める群衆もまた新しい京都の夏の風物詩として定着している。

今日、コロナ菌の影響でますますsocial distanceの間隔の取り方が素晴らしくうまい。

 




2020年8月7日金曜日

糺の森の伝説

 下鴨神社は糺の森の中にあります。

今も森の中に瀬見の小川が流れています。

そこには、玉依姫という少女がいました。

ある日、小川で遊んでいると丹塗の矢が流れてきた。矢を拾い枕元に。

翌朝、彼女は妊娠、やがて男のを出産。

父親は誰か?

祖父は酒を作り、初七日の宴のあと、孫に向かってこう言った。

『この酒をちっと思う人に飲ませなさい』

杯をとった男の子はこう答えた。

「この酒は、天に捧げます。」

そうして、彼は屋根を破り天に登っていった。

丹塗の矢は、火雷神のものでした。

都市伝説多しの糺の森・・・・


2020年8月5日水曜日

下鴨神社の神の化身八咫烏

八咫烏・・・ヤタガラスのいわれ

日本書記の一編に、神武天皇の一行がやまと入りを空から道案内をした鴨氏の先祖である。
鴨氏の先祖は人間ではなく天上から派遣された烏や大きな鳥に変身して危険な場所から安全な場所に案内する能力を持っていたと云う話。
「さ、こちらへ」と、案内したとは思えない。
人間業ではない。
何か不思議な神業で案内役を努めたに違いない。
その神の子の人間、それが鴨氏の先祖である。
鴨氏そのものである。



この話、まんざらでもないのです。
私の同級生は、鴨氏の一族の末裔でした。
今は国の保存下に置かれている、下鴨神社の水守の一族でした。
ご両親もさることながら、二人の姉妹は才気煥発でした。
あらゆる芸術に長けて、ハープの奏者に画家でもありました。
行動力もさることながら才女の誉れ。
やはり、神の子の遺伝でしょう。。。。

どうか、コロナのパンデミックを空からの導きで鎮めて頂きたい。

夢が叶う

孫守りツアー❗️岐阜県岩門の滝

残暑お見舞いもうしあげまする・・・・・ 皆様とはご無沙汰してしまいました、申し訳ありません。 岐阜県岐阜県祠戸の岩門の滝へマイナスイオンシャワーを浴びに行って参りました。 息子の隠れスポットの一つのようです。 秋の紅葉狩りの時分も素晴らしい雰囲気を醸し出してくれるに違いありません...

下賀神社