京都に尽きない話は、鬼と武士との宿命的な対決という話がありまする。
愛宕山、あるいは大江山に鬼が棲んでいて、時々都に出てきては人間に悪事を働く。
そして、美女をさらっていくこともある。
武士たちは鬼どもの前に立ちはだかり、勇敢に戦って最後にはめでたしめでたし。
鬼というものは正体がわからないけれど、人間の不安や恐怖の心理が反映されたものだといううことは、なんとなく理解できる。
京都は災害に悩まされて御霊会が始まったのが天禄時代。
市民は災害の原因は政争に敗れて悲惨な最期を告げた人の怨霊の祟りに違いないと思い御霊会の人が怨霊を沈めようとした。
が、社会不安の反映は京都に集中する。
鬼とか妖怪といったものは人間社会の不安を栄養にして元気になるものだ。
愛宕山や大江山の鬼が活躍するのは京都の不安という栄養をたっぷり吸収してエネルギー満々だからだ。
これに対して、武士は貴族政権の不安や京都の不安という心理の軸が回転し鬼が武士に、武士が鬼になる。
武士と書けば威勢がいいが、かつては「さぶろうもの」「さぶらい」「侍」に。
貴族の番犬、口はきけるだけが犬よりましと言われていた。
不安の吐口は貴族の娘を拐う。
貴族の娘は京都にしかいないからだ。恐ろしや。。。。。
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