俗にゆうソウルメイトらしき人物だと思い込んでいた人が退職前の会社所要のホテルが空いてるからとお誘いを数回。
私は既に、大学のゼミの旅で故宮博物館をはじめタロコ渓谷に飛んで、その後会社の慰安旅行で4度目の懐かしの台湾。
相変わらず亜熱帯の湿気は意識を曖昧にさせるほどの暑さだった。
ホテルよりカフェで遅いブランチ、揚げパンに醤油を浸し、冷たいタピオカで喉を潤した。
驚いたのは、英語も日本語も話さない若者がほとんどだった。
昔、日本語の統治下の時代、日本人信仰で流暢に日本語を話す老人はいなくなっていた。
そらそうだ、生きていたらば仙人の様な年になってる(笑)
しかし、英語も話さない、、、空港ではとても綺麗なクインズイングリッシュだったのに。
外資系のサラリーマン曰く、中国からの統治を逃れるにはアメリカへの社会進出とIT産業に特化する。
つまり外資系の社会進出にかける。
正解だった、誰もがマンダリン語を話し、たまに英語が飛び交う町。
若い世代と年老いたアジアンの老人は仕事も生活スタイルも大きな差がある様に思えた。
都市は見上げると東京よりでかいビルがわんさと建っている、不動産会社の素社長としては気になる気になる。
マレーシアには3年前にツインタワー前のホテルに滞在して驚き桃の木山椒の木!(◎_◎;)
東京、遅れてる。。。。。てな。
京都曰く、日本語話せないアジアンたくさん滞在してきている。
日本は何処を目指しているのだろうか........
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